近頃話題の回転ずしチェーン店での未成年者による迷惑行為。
こういうしょうもないものや、明確な犯罪行為を行う人間は正直全員死刑でいいのではないかと思う。
極論、といえばそうだが、実際彼ら犯罪者・もしくは罪に問われてはいないがそれに相当するであろう者たちは人間社会において邪魔でしかないであろう。
未成年であり、今後の更生の余地を見るための確認・猶予期間を作るため、と自分は認識している「少年法」も不要だ。
子供だろうが、大人だろうが、犯罪・迷惑行為を故意に行う思考を持ち合わせている以上、その人間に更生の余地は無いと思う。
人間は変われる、なんてのは表面的な話だろう。
不慮の事故で犯罪者となる人々もいるだろう。
そういう人はそもそもその「不慮」であることを加味していても自責において自らに何らかの罰を設けるのではないのか。
車で突っ込んでおいて自身に責は無いと言い張るような人間は仮に「不慮」の要素がいくらかあったのだとしても、まともな思考回路の人間ではない。まともな人間であれば一時的に感情に流されようが客観的に見つめ直し、自身への罰を正当であると感じるのではないのか。あの老人は本当に不快だった。
こんな考えを続けていくと優生思想の精神版、みたいなことになるのかもしれない。犯罪意識を持たない純粋無垢な人間だけで子孫を残せば悪行も減るはず…みたいな。
これを実現させようとしたら世界を一元管理するような社会環境の一括更新でもしないと無理そうではある。そもそも犯罪意識の水準がどこなのか、とかいう話もあるが。
アニメのサイコパスはこの辺のことを物理的にやっているような話だったのか?1期しか見てないからわからないけど。
アニメやゲームに限らず創作物ではよくある「人類間引く系」は自分が犯罪者側でない、というのが大前提なわけで、自身が聖人君子側に存在していると豪語できる人間はそれはそれで頭がおかしいという……その後罰を受ける覚悟はある!系もいるけど。
兎に角、個人的に思うのは犯罪者への慈悲は不要、という1点である。
これが自身に跳ね返りかねない考えであるというのも面白い。