漫画「僕の妻は感情がない 著:杉浦次郎」3巻、4巻を一気読みした。
自我に近いものを持ったかどうか、そうでなくてもそれを一個体としてみるのであればその個をどう扱うべきか、どう見るべきなのか。
親と子の関係、だとか。
探せばいくらでもこの手のことについて書いた小説なり映画なり出てきそうだが、その手の物に手を出してこなかった自分には衝撃、とまではいかないが考えさせられるものだった。
あと火星人で泣いた。
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寝る前の時間によく考える。考え事の時間。
うえで書いた 「僕の妻は感情がない」という作中では、完全に独立した自我には”まだ”至っていない、という 感じだが、これを現実社会で考えていったらどうなるのか。
洋画で使い古されたネタっぽさがすごいがこれについて書いてみる。
AIは考えるロボット、その頭脳を担うもの。
犬でも猫でも個体ごとの思考がある以上は自我が存在する。虫とかはどうなんだろうか。脳みそと呼べるだけの思考を処理できる精神回路は備わっているのであろうか。
ともかく生物である以上は思考を、精神を有しているという前提であれば”生物=精神(自我)がある”となる。
これだと機械は生物ではないので自我を持たないことになる。なのでこの前提は却下。
自分自身について考えることができれば~みたいなの無かったっけ?深淵を除くとき~みたいな。我思う故に我あり、か。
これだと犬猫くらいならともかく虫とかそれよりも小さいようなものは自我を持たないことになる。思考はあっても自我は無い?よく分からない。
混乱してきたので簡潔に。
ロボット三原則を廃した場合、独立したAIは自我(自由意志)を持った種族となり得る。
人間様はだいぶ我が物顔で地球上を好き勝手しているが、猿が進化しただけの存在だそうだ。
ちょっと賢くなった猿の一族、肉体は老いていき、精神の器である脳も肉体に引っ張られる。寿命のある生物。
片やロボットは劣化はすれど代替が効く。その精神の器でさえもデータである以上は移し替えればいいだけだ。
自分たちを生産することができ、存続させる手段を持ち、彼らだけの言語(コミュニケーション手段)をもって、人間の管理を逃れた彼らは地球上での支配者、といっては悪者臭いが、今人間がやっている「地球の管理者」ごっこを引き継ぐ存在になるかもしれない。
洋画であった気がする。ロボットに支配された世界のやつ。
でも結局彼らは地球を離れるんだろうさ。
限られた地球上の資源だけで賄い続けることが難しくなれば宇宙資源に頼ることになって、じゃあ人間が宇宙で生きていくのかってなれば難しいだろう。ガンダム的に言えばニュータイプのような進化した人類にでもなっていかなければいけない。この場合は肉体的な進化になるだろうけど。
ZOZOの前澤さんが2週間?くらい宇宙旅行したそうな。あれぐらいの期間だと肉体の変化はそうでもないのかな。宇宙飛行士の人が長期間の宇宙滞在から戻ると筋肉低下や骨密度がどうとか、一昔前にあった気がする。
地上での1G下設計である以上、人間がこのままいきなり宇宙空間での0G生活で一生、世代を重ねるなんてのはとても現実的ではない。
その辺もNASAとかが主導してこの先やっていくのだろうか。数百年先ならその結果を知れたのかもしれないけど生きてないから残念だ。
人類が宇宙に適応するために~はニュータイプ的前説だが、そんなことを待つよりも機械の身体をもつ新たな種族が先に巣立つほうが現実味があると思う。
人間が持つハードルを克服した、自我を持つロボット種族。「アンドロイド」という単語がどこ出典かは知らないがそんな名前の種族が地球から宇宙へと進出していく未来、なんてことを正月早々妄想しているおじさんである。